志
創業者の気概
農業振興のための圃場整備から始まる
私の曾祖父である初代・辻󠄀広善作が会社を興したのは、1926(大正15)年のこと。時代は日本が近代化へと加速する転換期でした。そこで善作が最初に手がけたのは、今でいう「圃場整備」、福井市南江守地区の農地の区画を整理する仕事で、農業の効率化によって地域を豊かにする、その基盤づくりを「業」としたのでした。1935(昭和10)年には足羽山にトンネルを掘削する工事も手がけ、後年に制作された当社の『60周年史』では、「足羽山地区の大喝采を博し、辻󠄀広組の名声を県下に轟かせたのであります」との記述があります。「自分でそんなことを書くか」と思わず笑ってしまいそうになりますが、創業者の気概と誇りは確かに伝わってきます。その後は満州に渡りさまざまな工事で技術を磨きました。戦後になると「福井市建設協会(現・福井地区建設業会)」を設立、初代会長として業界の発展に力を尽くしました。晩年は県会議員に就任し、1970(昭和45)年には「勲五等瑞宝章」を授与されています。地域と関り、地域への貢献とともに生きた、そのような人物だったと思います。
豪
2代目の剛毅
県内初のアスファルトプラント
1959(昭和34)年、2代目社長として辻󠄀広組を継いだのは、祖父・信哉でした。20代の若さでの社長就任でした。就任後、信哉は春日立体交差の地下道工事を手がけます。福井県初の地下道でした。社長就任3年後となる1962(昭和37)年に、信哉は思い切った投資に踏み切ります。それが県内初となるアスファルト製造プラントの設立でした。
これが以降の辻󠄀広組の主要事業となる「舗装事業」の礎となっていきます。当時はまさにモータリゼーションの勃興期。1965(昭和40)年には国内の自動車保有数は1,000万台を突破するのですが、それにともない全国の道路がそれまでの砂利引き道路からアスファルト舗装へと整備されていく、まさにそのような時代でした。こうした動きを検知し、そこにいち早く投資した先見眼は、今振り返っても大したものだと思います。
アスファルトプラントを備えた辻󠄀広組はその後、舗装事業において圧倒的なアドバンテージを持つこととなり、舗装資材の製造/販売、舗装工事というビジネスモデルを構築したのでした。時代の変化を読み、躊躇せず踏み込んでいく。その判断力と実行力で、今日に至る会社の骨格をつくったのです。
波乱万丈
祖父は非常に熱量が高い人物で、いい意味でカリスマ性のある、悪く言えば野放図な一面を持つ経営者だったようです。株の投資で大きな利益を出したかと思えば損失も出すなど、波乱万丈な人物でもありました。トップダウンで勢いよく物事を進め、本業のみならずボウリング場やテニスクラブの運営、飲食店経営などにも手を伸ばし、バブル崩壊時には株式投資で苦汁を飲んだこともありました。
その一方、社員への想いは人一倍強く、亡くなってからもう20年近く経ちますが、今でもベテラン社員たちから「先代のあの言葉があったから頑張れた」という言葉をよく耳にします。また祖父は集会所建設に多額の寄付をするなど、今日でいうところの地域貢献にも力を注いだと聞きます。そんな話を聞くたびに、人の価値は死んだ後に決まるのだと感じます。私ははたして、次の世代の人たちにどんなふうに語ってもらえる人物になるのだろうか…そんな思いが去来します。
整
経営の現代化へ
父が整えた基盤
祖父は1959年に社長に就任後、日本の高度経済成長期と1980年代後半からのバブル景気を駆け抜け、1996(平成8)年に3代目となる父・光男にバトンを渡します。時はまさにバブル経済の崩壊後。日本が大きな転換点を迎えた、そんな時代でした。
父・光男は、バブル崩壊後の厳しい時代を支えました。祖父はアスファルトプラントによる本業の拡充に成功しましたが、他事業や金融への投資によって負債も残しました。父はそんな祖父が残した負債や様々な事業を整理し、本業へと経営努力を集中させました。また業界全体で進められた体質改善の動きと同期するように、コンプライアンスとガバナンスを強化し、今日に至る健全経営の基礎を整えてくれました。会社をクリーンな状態にして、私に引き継いでくれたと思っています。
受け継いだバトン
100年間にわたって積み重ねられてきた様々な成功や失敗、その経験の上に今日の辻󠄀広組がある。どのような価値を受け継いでいくのか、さらにどのような新しい価値を創造していくのか。4代目として会社を引き継いだ私には、そのような課題が与えられているのだと思います。
継
受け継ぐ「良い仕事」
「良い仕事」をしよう。
それは人々の暮らしの基盤をつくり続ける。
それは私達の成長をつくり続ける。
それはあなたの人生をつくり続ける。
「良い仕事」3ヵ条
1、一粒でも多くの汗を流そう。
2、誠意を尽くして信用を得よう。
3、できないとは言わず、できる方法を考えよう。
今日も良い仕事をして、感謝される人になろう。
見えない価値を言葉にする
私が会社に戻ったのは2016(平成28)年のことです。大学を卒業後は6年間、株式会社オープンハウスという不動産会社で営業の修業をさせてもらいました。
辻󠄀広組に入社して5年ほど経った頃、取り組んだのが「経営理念の再定義」でした。
なぜそれをしようとしたのかというと、どんな価値を受け継ぎ、どんな価値をこれから創造していくのかを、改めて考えたかったからです。祖父の時代につくられた「社是」はあったのですが、それは会議室に飾られているだけになっていた。それを若い人にも分かる言葉に生まれ変わらせたかったのです。
40年、50年、辻󠄀広組で働いてきた先輩たちに話を聞いて回りました。「辻󠄀広組らしさって何なのでしょう?」と一緒に考えながら。「見えない価値を探す」、そういう作業でした。
そうして生まれたのが、「理念」と「『良い仕事』3ヵ条」です。これらは「新しくつくった」というよりも、昔から受け継いできたものを若い人たちにも伝わる言葉として整えたというものです。
感謝される仕事が「次」に繋がる
理念にある「良い仕事をしよう」という言葉は、祖父の時代からすであった考え方です。ただ「良い仕事って何ですか」と聞かれると、ちょっと抽象的で分かりにくい。私が考えるのは、「自己満足で終わらない」ということです。自分で「良い」と思えることも大事ですが、それ以上にお客さまが「頼んでよかった」と思ってくれること、それが本当の良い仕事だと思います。自己満足ではなく、相手の評価こそが基準です。
官公庁発注の工事では、工事完了後には必ず点数が付けられ、その評価の積み重ねが次の受注に大きな意味を持つ。昔のように談合が常態化していた時代が終わり、正当な技術評価で仕事が決まる時代になったからこそ、この理念はいっそう輝きを増しています。
良い仕事をしたら次に繋がる。この考え方をみんなで共有し続けてきたことが、100年続いてきた一番の理由ではないかと思っています。役所の仕事では完成後に評価点がつきます。その点数が積み重なって、次の仕事に繋がっていく。だから、良い仕事をすれば次に繋がるという考え方は、今の時代にも、そのまま生きてきます。「3ヵ条」も同じで、その努力がお客さまから感謝される結果を生み出し、感謝が信頼となり、未来につながる力となると考えるからです。
業
「地域一番」を支える強み
業界のトップランナーとして
辻󠄀広組の年間売上高は約40億円。そのうち道路舗装事業が20億円を占めています。福井県内における舗装のシェアは2番手企業の2倍以上で、長年にわたってトップの位置を維持し続けています。
この強みを支えているのが、祖父が設立したアスファルト製造プラントです。材料の製造から施工まで、すべて自社グループで一貫してできる「製販工一体」の体制を構築。これにより高速道路の建設や大規模な修繕を請け負う高い技術力と施工能力を持つ企業(NEXCO舗装工事A等級)として認められています。ちなみにNEXCO舗装工事A等級を認可されているのは、福井県内では辻󠄀広組一社だけです。
機動力と使命感が生む信頼
また辻󠄀広組は、現場監督を40人、重機を操るオペレーターは35人擁しており、これら75人もの工事のプロフェッショナルが現場を動かせる体制を整えています。これだけの技術者と機動力を持つ企業は少なく、それが「辻󠄀広組に頼んだらなんとかなる」とのお客さまの評価につながっている。
道路関係では他にも、除雪や災害時の道路の復旧も辻󠄀広組の重要な仕事です。消防車も救急車も通れない道を復旧させ、機能させる。ライフラインを守り、地域社会の役に立つ。そこに土木建設業者の存在意義があり、そのことを社員ひとり一人が常に意識しながら毎日の仕事に取り組んでいます。
人
人が育つ組織をつくる
ジュニアボード会という仕組み
辻󠄀広組への入社後に私が取り組んだのは、組織の若返りでした。新卒採用に取り組み、若手社員が集まって会社の課題を議論する場もつくりました。それが「ジュニアボード会」です。
月に一度、将来の役員候補となるメンバーが集まり、経営課題を自分たちで考えます。これまでのようにトップダウンの形式ではなく、自分たちで課題を探し、解決法を決め、自分たちで責任を持って動く。そういう組織の空気が生まれました。
社長就任と同時期に、39歳の社員を工事部の責任者に任命し、彼の元には、40名の監督、35名の現場技術者、合計75名の部下が誕生しました。建設業界では異例の若返りでした。
ジュニアボード会からは、業務のデジタル化、請求書処理方法の刷新、岐阜営業所の新設…など多くの経営改革が生まれています。その結果、中京地域からの新たな受注に成功するなど、経営成果として着々と実を結んでいます。
勇
本業に根差した新たな挑戦
次の世代を引き付けられる会社を
残念ながら、地方の建設業は就活生には不人気です。でも、地元に帰りたいと思う優秀な人は確実にいる。
東京で働く大学の友人たちも、子どもが生まれて大きくなってきたらできることなら田舎に帰りたいと口にします。「しかし今と同じ仕事や待遇がなければ帰れない」と。
当社の現在の平均年収は約600万円、プライム上場企業の平均760万円台にはまだ差がありますが、そこまで引き上げることができれば、多くの人を福井に呼び戻すことができると思う。生活の豊かさは大都市より確実に福井のほうが優れていますからね。
だから会社を成長させる。成長しなければ若い人のポストも給与も増えない。成長し続けることで、若い人がチャレンジできる場をつくる。それが私の仕事だと思っています。
新しい会社を立ち上げる
ここ3年で2つの新しい会社を立ち上げました。一つは株式会社Task Free。中小企業や小規模企業、一人親方といった自営業者の総務・経理業務をまるごと引き受けるBPO会社です。立ち上げたのは、当社の総務部門強化のためにスカウトした社員で、東京のベンチャーが開発していたビジネスモデルを福井地域にモデファイして起業しました。
もう一つが株式会社T・Oサポート。3Dスキャナーなどのデジタル技術で、建設DXに対応できない中小企業を支援する会社です。本業である建設業や地域の暮らしと、きちんとつながりがある事業だと思っています。
これからも「人々の暮らしや地域社会の基盤をつくり続ける」という一本の軸を据えて、本業の土木建設を中心に新たな事業を展開していきたい。やる気のある若い人たちに起業の機会を提供していきたい。そんなふうに考えています。
地域への恩返しとして
100周年の節目に地域への恩返しとして、会社の近所に「nest(ネスト=巣)」と名付けたママの子育てと挑戦を応援するレンタルスペースをつくりました。妻と話し合って建物やサービス内容を整備しました。
月に50〜60件ほどの利用があり、子どもの誕生日会、卒園パーティーなどに使えるスペースや、産後ママのケアなどのサービスをスタートアップする人たちのインキュベーション施設としても利用されています。
二百年企業に向けて
私の役目は、これから200年続く会社、その礎をつくることだと思っています。そのためには、会社の規模を大きくしていく必要があります。優秀な若手が「この会社で働きたい」と思ってくれる環境を作るためです。収入を引き上げ、仕事にやりがいを感じてもらいたい。都会から福井に戻る、他の地域から福井にきて暮らす、そんな人たちの受け皿になりたい。
次の社長ですか? 私は自分の子どもが会社を継がなくてもいいと思っています。それよりも、社内に「この人に任せられる」という人材が育つ状態をつくっておきたい。そのように切に思います。
当社の経営理念には「私達の成長をつくり続ける」「あなたの人生をつくり続ける」という文言を入れています。社員一人ひとりが、「良い社会人人生だった」と思ってくれる会社でありたい。それが私にとっての経営の、一番の目的。
「良い仕事」をして、感謝される会社であり続けること。創業者から続くその姿勢を、次の100年にもきちんと繋いでいきたいと思っています。
Profile
辻󠄀広昌平さん
1987(昭和62)年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、1997(平成9)年創業の総合不動産ベンチャー企業、株式会社オープンハウスに新卒9期生として入社。2013(平成25)年に東証プライム上場する同社の成長プロセスと時を同じくしながら、不動産営業に6年間従事。その経験を携え、2016(平成28)年に辻󠄀広組へ入社。入社後は副社長として経営を学び、2025(令和7)年に4代目代表取締役社長に就任。趣味はレコード収集とDJ、そして長男が所属するサッカーチームのコーチを務めること。

