DNA

時代の構造変化に応じる
「勇気」の物語

創業の源流

私たちの会社は1926年の創業とされていますが、さらにその源流をたどると1900年にまで遡ります。堀内金十郎が興した「堀内商店」です。金沢の地で、絹の羽二重の問屋を個人商店として立ち上げたのです。当時は富国強兵、殖産興業の時代。北陸地域は絹織物の生産地として活気づき、中でも石川・福井両県は日本の絹羽二重の全輸出量の6割を担っていたほどでした。
しかし、大正から昭和へ移り変わる頃、大きな構造変化が起きました。化学繊維「レーヨン」の登場と、「電気」の普及です。絹は一気に安価なレーヨンにとって代わられました。暮らしや産業分野で新しいエネルギー源として電気が普及し始めたのです。時代は大きく動いていこうとしていました。

電気の時代へ

「これからは、電気の時代が来る」
金十郎の長男として生まれた堀内益男は、そんな時代の動きを肌で感じ取っていました。父の興した絹織物問屋を継ぐに先立って、益男は1923(大正12)年に設立されたばかりの富士電機に入社し、3年間の修行を積みます。そして金沢に戻り家業を継ぐと、問屋の中に「電気部」を設立しました。1926年のことです。これが当社の始まりとなりました。

変化への勇気

もし当時、堀内益男が「絹」の商売に固執していたら、今日に続く私たちの歴史はなかったでしょう。時代の曲がり角で、過去の成功を捨てて新しい道へ踏み出す。この「変化への柔軟な対応」こそが、創業期に刻まれた私たちのDNAだと考えています。その後も私たちは、その時々の社会が求めるものを「社業」と捉え、しなやかに姿を変え続け今日に至っています。その原点が、1926年の大胆な事業変容だったと思うのです。

人生哲学

「現実に先んずること唯一歩」

派手さより確実な歩み

当社の経営理念には、「現実に先んずる事唯一歩(げんじつにさきんずることただいっぽ)」という言葉があります。この「唯一歩」という表現に、100年続く企業の個性が凝縮されています。
「イノベーション」という言葉が重用されるビジネスの世界では、往々にして何十歩も先を行こうとする派手な戦略がもてはやされることがあります。しかし、あまりに先を急ぎすぎれば現実に足元をすくわれる。逆に現実にしがみついているだけでは、変化の波に飲み込まれる。だからこそ、現実を直視しながらも、その先のほんの一歩、半歩だけ先を見る。この「急がず、騒がず、しかし確実に歩みを進めとどまらない」という「精神態度」を、私たちは何よりも大切にしてきました。

当たり前を本気で守る

当社にはこの経営理念とともに、創業者である堀内益男と2代目社長・中林治嗣が策定した「社是」を、今日でも掲げています。
「社業を通じ社会貢献」「誠実・熱意・協和・責任」「創意」「自身」「勇気」…こうした言葉がちりばめられた社是、「感謝の念」「信頼」「社員の幸福」を謳う経営理念は、単なるスローガンではなく、「人生哲学」そのものだと私は思っています。これらに掲げられた「当たり前のこと」を「本気で守ろう」としてきた人々が、100年間絶えることなく企業文化を形成してきた。
100年間、会社が続いてきたことが価値なのではなくて、理念が「体質」になるほど受け継がれてきたその連続性、持続性こそが、私たちの価値であると思うのです。

目立つ戦略より日々の姿勢

お客様、仕入先、パートナーと誠実に向き合う、熱意を持って対応し、協和を大切にする…これらを日々の行動の基準として継続してきたこと。目立つ派手な戦略より、毎日の仕事を通じてステークホルダーとの間で信頼を積み重ねる。そのことによって、今日まで歴史をつないできた会社だというふうに私は思っています。

現場

現場で学んだ仕事の真髄

関係を築き信頼を得る

私が当社に入社したのは1977(昭和52)年。理系の学校を卒業したのですが、エンジニアではなく営業職として長岡支店で勤務を始めました。当時は第一次オイルショック後の不況の中。就職活動も、入社後の営業活動も、決して楽な時代ではなかったですね。
新入社員の私の仕事は、今でいう「ドブ板営業」。例えば、お客様のところへお昼時にお邪魔してお弁当を一緒に食べたり、休日にキノコ採りや魚釣りにご一緒したり。今日ではちょっと考えられないような働き方ですが(笑)、まさに「ベタベタ」の人間関係を築くことから始まりました。技術的な知識も大切ですが、それ以上に「この人ならつきあいができる」と思っていただくことが何より重要でした。

粗利と荒利

そんな泥臭い現場で教え込まれたのが、「荒利(あらり)」の大切さでした。
ジェスクホリウチでは、一般的に使われる「粗利」ではなく「荒利」という字を使います。お客様からいただいた貴重な利益を「粗(あら)い」という言葉で表現したくない。だから「荒利」と書くのです。
私は先輩から、こんなふうに教えられました。
「君の財布の1万円の0.1%は10円だが、会社の売上100億円の0.1%は1,000万円だ」と。1円を安く仕入れ、1円を高く売る。このことが「インプット・ミニマム、アウトプット・マキシマム(=最小限の入力で、最大限の成果を得ること)につながる。その徹底が、企業にとっては大事なのだ」と。

慎ましさ

お客様から1円の利益をいただくためには、その価値を認めていただかなくてはならない。そのためにはお客様と誠実に向き合い、熱意をもって対応していかなくてはならない。そのことの厳しさと喜びを、私は現場の汗の中で学びました。利益とはお客様から頂く貴重なものであるという「慎ましさ」が、当時の不況の時にも、その後のバブル景気とその後の不況時にも、会社を支える背骨となったと考えています。

転機

エンジニアリング
企業への脱皮

主要部門の閉鎖

100年の歴史の中で、いくつかの大きな転換点がありました。バブル景気が弾け一転して日本全体が不況に転じた1992年もそのひとつでした。
当時私たちは、20社以上のメーカーの特約店として、機器を仕入れ販売する商社事業を主力としていました。中でも自動販売機部門は、当時の年間売り上げの1割強を占め、ピーク時には年間30億円を超えることもある主要部門でありました。しかし、メーカーの事業構造見直しにより、事業部門の閉鎖を余儀なくされました。丁度バブルの崩壊により急激に売上が減少する中で、追い打ちをかける事態は経営上の大きな危機でした。

自らの力で価値をつくる会社へ

「モノを仕入れて売るだけの商社だけではダメだ」「特約店制度で守られていても、自分たちの命運はメーカーによって左右される」
強烈な危機感を抱いた私たちは、それまでの商社としての機能に加え、自社で「技術」を持つ、「価値をつくり出す」部門を自社の中に持つことを決意しました。当時は工事やシステム開発を協力会社に多くを依存しており、お客様にはそれ相応のご満足をお届けできてはいたのですが、社内に技術が蓄積されない、そのような状況でした。

エンジニアリングの力を手にする

そこで私たちは、1998(平成10)年に「工事技術部」を、次いで2002(平成14)年には「システム本部」を設立しました。
当初は、営業から技術へ転向した社員たちが、独学でプログラムを組むところからのスタートでしたが、その後は技術系社員の育成に力を注ぎ、今では全社員のうち技術職の社員が営業職の社員の数を上回る状態となりました。
産業設備やコンポーネントを扱う「商社」としての地盤を持ちながら、自社で設計・施工・保守までを一貫して行う「エンジニアリング」の力を手に入れた。このハイブリッドな構造こそが、今のジェスクホリウチの強みであり、利益を生み出す源泉となっているのです。

社長室の扉を開ける理由

私は弱い人間

私は自分を「弱い人間だ」と捉えています。長岡の学校を卒業後は東京に出てエンジニアになることも考えましたが、結局、都会の波に揉まれる勇気がなく、地元に残った人間です。五人兄妹の四男坊として育ち、子供の頃から兄弟の中で自分の居場所を探しながら成長してきました。そういう私だからこそ、人の関係や「場」の空気に敏感でありたいと思っています。

次も顔を合わせられる関係

自分の判断軸ってどういうところにあるのかというと、「派手な一手より確実な一手」、「理屈より現場の納得」、短期の成果や利益より「次も顔を合わせられる関係」でいられること。「無理な理想より守れる約束」、「評価される言葉より裏切らない行動」…こういうことが大事だと思っています。 これはいわば、ジェスクホリウチが掲げる経営理念や社是の、私なりの受け継ぎ方だと思うのです。

「現場の兆し」に寄り添う

経営者の大局観も必要でしょうが、私はそれ以上に「現場との近さ」を大切にしたい。机上の空論よりも、現場の納得。派手な一手よりも、裏切らない行動。お客様が来られた際に、受付の社員が自然に立ち上がって笑顔で挨拶できるか。そんな些細な日常の品質の中にこそ、企業の真実が宿っています。
支店や営業所に足を運んだ時に、やっぱりあるんですよ、扉を開けて入った瞬間に感じることが。変化というのを感じる。良い変化も、悪い変化も。 こういう言葉にならない「現場の兆し」を感じ取ることは大切なことと思います。そして、経営に役立つことだと感じています。
だから社長室の部屋の扉は、朝はいつも開け放っているんです。社員が上がってくる時の表情を見たいから。「おはよう」と声をかけた時の反応、歩き方、眼差し。現場に何か問題が起きている時、あるいは良い変化が起きている時、それは必ず社員の表情や雰囲気に現れる。そういう現場の兆しから目を逸らさないこと。日々大切にすべきことはそういうものなんじゃないでしょうか。

経営の根幹はやはり「理念」

理念を「自分事」として

100年続く歴史の根幹は、やっぱり「理念」だと思いますね。けど、ただ掲げるだけじゃ意味はない。社是や経営理念が、社員一人ひとりの「行動の軸」として内面化していることが不可欠なんです。
だから当社では、評価制度の真っ先に「会社の信条とする『社是』および『経営理念』について、自身が果たすべき行動規範を記すこと」という項目を置いています。営業も技術も、そして評価が難しいと言われる管理部門も、みんなが同じ軸を持てれば、意見が異なることがあっても最終的に向かう方向はブレません。それが何より大事ですよね。理念を自分事として考える。自分ならどう動くか、自身と見つめ合う時間を持ってほしいと思っています。

社員とともに、現場とともに

これからの100年も、私たちの基本は変わりません。商社という確かな基盤を大切にしながら、社会インフラ、産業インフラ構築の良きパートナーであり続けたい。
ただ、中身はどんどん進化させていく。今、特に力を入れているのが情報システムやクラウドサービス、そして生成AIやIoTといった分野です。これらを自社商品として磨き上げ、お客様の課題を解決していく。これは、私だけでなく全社員が共有している「夢」でもあります。
商社だからこそ、メーカーとの深い連携があり、そこにエンジニアリングの技術が加わることで、いま社内には「挑戦し進化しよう」という機運が満ちています。そんな現場の熱量をエネルギーに、次の100年へ向かっていきたいと思います。

Profile

今井秀夫さん

新潟県出身、長岡工業高等専門学校卒業。1977(昭和52)年に営業職として入社。「ドブ板営業」で泥臭く信頼を築く営業スタイルを貫く。長岡支店長を経て2017(平成29)年に社長就任。座右の銘は「修身斉家治国平天下」。趣味は山歩きと読書。70歳を機に長年の「白の4ドアセダン縛り」を脱し、4WD車でオフロードを走る夢を持つ。